公開: 2023年1月10日
更新: 2023年x月x日
第1次世界大戦で、当時、開発されたばかりの飛行機を戦場で利用する試みがなされました。最初は、戦場の上空を飛んで、敵側戦力の展開についての情報を得るための偵察に利用されていました。しかし、すぐに飛行機に爆弾を積んで、地上に展開されている敵の軍隊を爆撃したり、敵の爆撃機や偵察機を攻撃するために機関銃を搭載した戦闘用の飛行機が開発されました。
この第1次世界大戦中に、アメリカから義勇兵として参加したパイロットの1人は、将来の戦争では、飛行機を単に戦闘の道具として利用するのではなく、敵国の上空に飛ばし、工場や鉄道施設などを爆撃することで、敵国の国力を衰えさせる「戦略的」な手段として利用すべきであると考え、陸軍や海軍からは独立した空軍を創設すべきであると強く主張しました。しかし、この提案は退けられました。
第2次世界大戦が始まった頃、米国軍も他国の軍隊と同じように、飛行機の運用を行うための部隊は、陸軍や海軍に所属していました。現在の米国空軍の基となった組織も、米国陸軍の航空隊(航空軍)として位置づけられていました。その司令官が、アーノルド将軍でした。彼は、航空軍は空軍として、陸軍からは独立な組織として、戦略爆撃を主たる任務とするべきであると言う思想の持ち主でした。
飛行機を利用することで、敵国の領土の外から、爆弾を搭載した爆撃機を飛ばし、敵国の上空から爆弾を投下して、敵国の兵器を生産する工場などを破壊して、その戦闘能力に打撃を与えると言う考え方でした。この考え方は、ドイツ軍も対英国との戦争で、ロンドン市内を爆撃すると言うやり方を採用しました。連合国軍も、第2次世界大戦後半には、ドレスデン爆撃を実施し、多数の市民を殺戮しました。
現在の国際政治においては、戦闘に直接関係ない一般市民をも標的にする「戦略爆撃」は、「戦争犯罪である」とする考え方が大勢です。東京大空襲などの日本の諸都市を標的とした戦略爆撃の非倫理性を議論しなかった、第2次世界大戦中の軍部の首脳や、各国の政治家の姿勢が、1945年8月の原爆投下につながったとする政治学者の意見は、傾聴に値するでしょう。